1498号
2024年11月22日
▼10月25日、山口県宇部市の床波海岸に着いた。10年前のあの日も冷たい風の日で、上着の襟を立て海を見ていた。海面から突き出る、排気塔の異様な光景もそのまま。当時は新聞記者として、夕張の炭鉱や釜石の製鉄所で働かされてきた朝鮮人を取材していたが、連行された労働者の慟哭を、潮騒の中に十分に聞けたわけではない。
戦時下の石炭増産命令の中での違法操業の海底炭田、危険な切羽に集中配置された朝鮮人、逃亡者と犠牲者の多さ。長生炭鉱の事実のどれをとっても故・安倍晋三元首相らによる「家の中に押し入って人さらいをしたわけではない」などの連行否定の主張は通用せず、強制のあらゆる証拠がこの海底に眠る。無知は恐ろしく、無知の耳には潮騒しか聞こえない。
その夜、朝鮮総連の女性同盟・山口県本部の金静媛・国際部長と呑んだ。20年ぶりの再会。毎年の追悼集会に長年尽力してきた人だが、主宰する「刻む会」の一角を支えつつも祖国の南北分断を反映し、韓国民団との調整が大変なことも率直に語ってくれた。翌朝早く関釜フェリー到着口で韓国からの訪問団30人を迎え、26日は終日、坑口で取材した。翌27日、現場に駆け付けた崔善愛・本誌編集委員による井上洋子・刻む会共同代表インタビューに立ち会った。
国や行政がやるべきことをしない中、国境を超える市民の力で遺骨調査に乗り出したことを本号で報告している。(本田雅和)
▼今週号の「さらん日記」でとりあげているスリランカコーヒー。「セイロン紅茶」で有名な同国は、かつて世界3位のコーヒー輸出国だったという。それを知り、コーヒー栽培を蘇らせたのが熊本県で「ピースナインコーヒー」を販売している清田和之さんだ。貧困にあえぐ人々の生活を向上させたい、コーヒーで生計を立てられるようにしたいと私財をつぎこみ、苗を買い栽培手法を教え、20年の歳月をかけてコーヒー栽培をスリランカの産業の一つに育て上げた。
この道のりを、丁寧な取材をもとにまとめたのが神原里佳著『錫蘭浪漫 幻のスリランカコーヒーを復活させた日本人』(合同フォレスト)。事実を淡々とつづっているが胸をうつ。たとえばこんな会話がある。清田さんに人が聞く。「お金になるんですか」「ならないよ」「じゃあ、何のためにここまでするんです?」「それがフェアトレードだから。(略)貧困から脱出できない小規模な生産者たちがいる。消費国の人間として知らん顔はできない。私がやっているのはビジネスではなく、フェアトレードの運動なんだ。利益ではなく裨益。私はそのためにやっている」。
裨益とは補い助けとなること。この姿勢と実践が人を動かし、現地政府をも動かした。私は非力だが、せめて清田さんのお店でコーヒーを買おうと思う。(宮本有紀)
▼突然みちのく弘前へ。夜に時間が空いたので駅前の「ます酒」を覗く。3年前の訪弘時、友人で私の行動をSNSで監視中(?)の『産経新聞』A氏が「ぜひ!」とお薦めしてくれた、職場の先輩のご実家の方が営むという酒場だ。
カウンターで「3年前も紹介されて来たんです」「へ~(A氏と)ご同業(報道関係)で?」「はい、スタンスは真逆ですが」との会話も続かず。何せ細長い店内は地元の年配の、純度100%津軽弁の客ばかりで言葉の壁があるのだ。とはいえ「じゃっぱ汁」などの名物料理はみな絶品。お国訛りをBGMにグラスを傾け極楽極楽♪
上がりの早いお客さんたちが全員帰っていった後、白髪に割烹着姿で一人黙々と店を切り盛りしているお母さんと、店内のテレビで演歌番組を見ながら2人で会話。前回の時と変わらずお元気だが、今年81歳になられたとか。なおも言葉の大半はわからないが「何か他で有名になってるそうだねえ、いろんな人来るし」と静かに笑い「す、すみません」と何故か謝る私であった。次回はいつになるかわからんが、またここで飲めたらいいな......。(岩本太郎)