週刊金曜日 編集後記

1501号

▼12月7日は1944年に昭和東南海地震が起きて80年に当たる。太平洋戦争末期、東海地方が被害を受け、死者1223人を出した。同じ地震で長野県の諏訪地方も大きな揺れに見舞われた。諏訪湖周辺は地盤が弱く、震源から離れても揺れが伝わった。諏訪の人たちは「諏訪地震」と呼んだ。

 戦後、諏訪の有志が被害の実態を調査したところ、愛知県の人から「同じ日、愛知でも大きな地震があった」と聞かされた。「諏訪だけの地震じゃなかったのか」と、昭和東南海地震の存在を初めて知り、驚いたという。長野での新聞記者時代、この話を記事にした。

 なぜ昭和東南海地震が知られてこなかったのか。発生直後、軍部が報道管制を敷いて国民に知らせなかったからだ。愛知県の軍需工場が大きな打撃を受けたことで、戦局に影響し、国民の戦意が下がることをおそれたのだった。

 国民に隠されたため、被災地に救援の人も物資も来ることはなかった。国家権力の隠蔽、情報操作がいかにおそろしいかがこの話からもわかる。(小川直樹)

▼マイナ保険証を事実上強制の形で進行する政府は「デジタル社会」の実現を目標に掲げる。デジタル庁の重点計画には多岐にわたる分野での活用が書かれているが、重要な主権行使である選挙制度については「デジタル時代における代理権、ネット投票等の法的な整理の検討」程度の言及しかない。

 昨年の統一地方選で千葉県内の候補者の選挙を手伝い、本当に「デジタル推進社会」なのか疑問に思った。候補者が提出する選挙公報について選挙管理委員会が指定するデータ様式はとても古く、デザイナーが使わないバージョン。自治体のほうがバージョン更新をしていないので対応に追われた。加えて紙に印刷して提出しなければならない。手続きに時間がかかるためか提出締切が条例の規定より早く、その根拠を選管に聞くと「運用」だという。管理体制も杜撰で内容の情報漏れも気になった。「デジタル時代」というなら、こんなお手盛りでアナログな手法や煩雑な手続きを改善し、誰もが立候補しやすい制度にすることにこそデジタルを活用すべきだ。(宮本有紀)

▼ジャーナリスト室田康子を深く尊敬している。私が古巣の『朝日新聞』から『週刊朝日』に飛ばされていたとき、隣の『朝日ジャーナル』編集部で健筆を振るっていた人だ。11/22号に続き11/29号の「偉人」の性加害や不正義を告発した記事でその思いを強くした。私は故むのたけじを「戦争責任を取って退職した唯一の朝日記者」と持ち上げ、彼の権威を高めて、差別の被害者である三井絹子さんを抑圧するお先棒を担いだ。

『朝日』入社時、争いのあることは双方に取材して両論併記せよと教わった。自称リベラル紙の限界だ。「子どもを産む重度障害者」を差別した、むのは絹子さんに寄り添った故松井やよりの『朝日』記事を「美談仕立てのウソ」「看護婦長や医師らの言い分を聞いていない」と非難。絹子さんの「聞いていたら娘はここにいない」との怒りは私の胸を抉る。「殺される側」に立つジャーナリズムは、権威や肩書きの鎧を着た嘘とニセモノを見抜く。肩書き愛好家と権威主義官僚は、本誌も含めたメディア界にも蔓延る。(本田雅和)

▼先月下旬には大阪へ。茨木市で夜まで取材の後、今宵の宿泊先である高槻市の宿(というか連絡先携帯番号)に電話すると「駅前で待ってて」と言われ、やがて車で現れた初老の宿主のピックアップで連れて行かれたのは淀川の河原土手下、街灯もまばらで真っ暗な一角にある古民家。「JAPANESE OLD HOUSE」との看板が掛かり、1泊4000円。この日は隣室にスペインからきた若者が滞在している(すでに就寝中)とのこと。周囲に店もなく、部屋の鍵もない六畳間で一夜を過ごすことに。

 今から31年前、まだ20代で海外をバックパッカーとして旅してた頃、こんな感じで各地の安宿や、あるいは街で知り合った人のお宅に転がり込んだなあと思い出す。当時は円高で、日本人の若者たちが1泊数百円の安宿を泊まり歩きながら旅する姿をあちこちの街や村で見かけたもんだけど、円安の今はすっかり日本が受け入れる側に。今の4000円ってあの頃の俺らの何百円になるのかな? 襖の向こうの寝息の主には結局確認し損ねた一夜でした。(岩本太郎)