1504号
2025年01月17日
▼阪神・淡路大震災が起きた時は新聞社の中部本社にいた。10日後、応援記者の1人として兵庫県芦屋市で2週間ほど取材に加わった。
同じ芦屋でも富裕層が多く住む山手地区は目立った被害がなかったのに対し、阪神沿線の下町地区は木造住宅が多く、倒壊の被害が目立った。当時の記事に「震度7は決して平等に住民を襲ったのではない」と書いた。
当時撮った写真の中に、被災者が段ボールに書いて避難所の前に置いたメッセージのカットがあった。「全国各地からの暖かいお心遣いに対し 声を大にしてありがとうございます」と感謝が記されていた。また、市内の別の避難所を訪れた際、女性が「早く復興して、支援してくださった全国の皆さんに恩返しがしたい」と言っていたのも思い出す。今もどこかでお元気でいるだろうか。
昨年末、今回の特集の取材で30年ぶりに芦屋を歩いた。市役所や小学校などは当時と同じ場所にあるが、街の中で震災のツメ痕を見ることはない。30年という歳月の長さを感じた。(小川直樹)
▼「関西地方が大地震だって」
当時東京都内で同居していた妹から起き抜けにそう言われたのを思い出す。1995年1月17日。年明け早々、その頃に勤めていた会社の社長と喧嘩した私は辞意を表明して、2日前に勤務先の関西支社から東京に戻され、3月末の退社日まで残務整理のための勤務を始める、その初日の朝だった。
「霞ヶ関駅で異臭が発生しましたので通過します」
退社11日前の3月20日朝、通勤中の丸ノ内線でそんなアナウンスを聞いた。地下鉄サリン事件だ。実行犯たちの中心は私と同世代の30歳前後だった。そんな騒々しい春先の混乱の下、私はひっそりと退社してフリーランスになった。
東京五輪のあった1964年の前後に生まれた私たち世代は高度成長期の子どもだ。戦後50年、30歳の節目。60歳の今から思えば、ちょうど「折り返し点」の春先に起きた二つの事象を境に世界が別のフェーズに入ったように捉える同世代は私だけではないだろう。胸中に複雑な思いが交差する中で迎える今号発売日だ。(岩本太郎)
▼年末12/28付の『朝日新聞』「多事奏論」の話。筆者である編集委員は居酒屋で友人と「拷問」談義で酒を酌み交わしたらしい。爪剥がしや水責め......どんな拷問が一番嫌かと議論しているうちに揚げ出し豆腐が冷めたそうな。韓国・尹錫悦大統領の戒厳令を批判する文脈の趣旨は、理解するが......。
ベトナム戦争中に米軍・傀儡軍に捕まり、獄中で宙吊り水責めにされても自白せずに生還した女性ゲリラたちの証言を集めてきた私は、今月末に出版予定の自著の校閲を終えたばかりだ。アフガン国境ではロシア兵に銃を突きつけられて小便をチビるほど怯えた身としては、「拷問」談義の言葉の余りの軽さに、眩暈と吐き気を覚えた。炬燵評論家とはこのことだ。
今月末の本誌特集を読んでほしい。崔善愛・本誌編集委員と父の崔昌華牧師らの指紋押捺拒否に対する、我が日本政府による報復措置こそ、まさに現代の拷問である。拷問とは権力が押し付けてくるものであり、酒の肴の選択肢ではない。炬燵ジャーナリストに、私はなれない。(本田雅和)
▼年末、読者会&忘年会に参加するため、神戸、和歌山、広島に出張しました。昨年の12月20日号でお知らせしたとおり、今年4月4日号から『週刊金曜日』の価格が改定されます。2019年の消費税率引き上げを受けて、翌20年4月に改定して以来となります。印刷会社からかつてない大幅な印刷製本費用の値上げ要請を受けたことが一番の要因ですが、昨今の物価高で他の経費も上がっており、心苦しいのですが、改定に踏み切ることといたしました。そのことを少しでも多くの読者の方々に直接説明するべきだと考え、読者会回りを試みたわけです。
アンケートも取らせていただきましたが、ほとんどの方々が定期購読を続けてくださるとのことでした。中には、本屋応援の意味も込めて書店で購入し続けるという方も。「寄付をしてでも図書館に入れてもらうよう努める」「年金生活で大変だが購読し続ける」と書いてくださった方もいます。胸が熱くなりました。今後もできるだけ多くの読者会に行きたいと思っています。(文聖姫)