週刊金曜日 編集後記

1510号

▼ベトナム戦争の実相は、石川文洋、中村梧郎両氏の報道写真から学んだと言っていい。今週号の特集では枯葉剤被曝者が流産した奇形胎児たちや、メコンデルタ・カマウ岬でのフン少年との出会い、死を前にした彼の姿など、中村氏による一連の写真を紹介したうえで、「静謐な美」を感じると生意気にも評した。その写真はどこまでも静かなのだ。彼の取材の力量は「戦後」の作品に顕著だ。戦後とはドンパチでなく、戦争犯罪被害の継続を意味する。枯葉剤被害の中には先天性身体障害のほか脳性麻痺やダウン症と同様の症状がある。リハビリや職業訓練にも限界はある。障害を治すより「抱きしめて生きていく」ことも必要だ。加害者よりも被害者が苦しまねばならない不条理がある。石川氏の写真でも好きなのは「戦後」の写真だ。集団疎開先からハノイに戻ってきた園児たちの行列。詳細は拙著『ベトナム戦争 匿されし50年の検証』164頁を見ていただければ幸甚。(本田雅和)

▼2月15日午後、東京・文京区で開催された「貧困ジャーナリズム大賞2024」授賞式に(所用で中座して失礼しましたが)参加。今回の大賞は、関西生コン事件を追った毎日放送「労組と弾圧」と鹿児島テレビのドキュメンタリー「いのちのとりで」。後者は私も本誌で関連の記事を担当した案件だが、全体的に今回も生活保護をテーマにした受賞作が目立った。

 実は私自身も今から11~15年前に生活保護を受給していた。仕事を失い鬱病・ひきこもり状態でもあった中では非常に助かった経験があるだけに、この問題は人ごとではない。思い出すのは受給者というだけで周囲から浴びせられた目線の厳しさ。たまに原稿仕事をこなすと「生保受給者が仕事していいのか」などと言う出版業界関係者もいた。マスメディアの人間ですら制度を理解していないのかと閉口したが、はたしてあれからそんな状況は変わったのかどうかを案じる今日この頃。(岩本太郎)

▼江戸時代後期、越後の商人、鈴木牧之が、雪国の生活や風習をまとめた地誌『北越雪譜』を出版した。豪雪を知らない江戸の人らが興味をもち、ベストセラーとなった。中にはかわいそうな話も含まれ、赤ん坊を抱いて里帰りした夫妻が吹雪に襲われ、夫妻は命を落とし、赤ん坊だけ助かるという雪国の過酷さも描かれている。

 雪の苦しみは現代も変わらない。新潟や東北などの豪雪地では、高齢者が雪下ろし中に屋根から落ちるなどして多く亡くなっている。新潟で新聞記者をしていた頃、「過疎化が進んで、雪下ろしを手伝ってくれる若者が村にいなくなり、建設業者も不況で減って道路の除雪も難しくなった」と背景を記事にした。そう書いたのは14年前。過疎化、高齢化はその時から一層進んでおり、今冬も各地で高齢者が雪の事故で命を落としている。行政に「何とかすべきだ」と言っても難しいのかもしれないが、どうにかならないだろうか。今冬は寒さが一段としみる。(小川直樹)

▼雑草や草花などを木彫りで表現する須田悦弘氏の美術展(東京・松濤美術館)を鑑賞した。すべての作品が本物と見紛うばかりの精巧さだ。葉脈や虫食い跡までもが忠実に原寸大で再現され、それが館内の床や壁との継ぎ目、コインロッカー、コンセントなど、思いがけない場所に展示されている。

 日常では誰も気にも留めないような路傍の雑草や草花を須田氏は"フェイク"と非日常の空間によって再構築する。そしてその植物が元来持つ美しさや生命力を私たちに逆説的に再認識させるのだ。

 現代美術作家の杉本博司氏は、「フェイクのほうが現実にはリアリティがある」「現代はもうフェイクに溢れているわけです。デジタルも全部フェイク」「そういうフェイクに満ちた世の中にフェイクの最高作を提示することによって」「大転換が起きる」と解説する。

 偽物で作られた本物以上のリアリティ感が、本物の本質を突くこともある。(尹史承)