週刊金曜日 編集後記

1514号

▼四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを、愛媛県などの住民約1500人が求めた訴訟の判決で、松山地裁(菊池浩也裁判長)は3月18日、請求を棄却しました。住民らは控訴する方針です。

 雨からみぞれ交じりになった松山地裁前では、原告共同代表で福島県出身の須藤昭男さん(83歳)が「司法は義を失い 民は滅ぶ!!」と大書した紙の文言を大声で読み上げて、判決の不当性を訴えました。負けることは考えたくないので、敗訴のときに掲げる旗は準備せず、今回の文言は判決を聞いてから一気に書いたそうです。

 民主主義を破壊してきた伊方原発のさまざまな問題点は弊社のキンドル本『新版 原発の来た町──原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』(斉間満著、https://www.kinyobi.co.jp/publish/002524.php)にも詳しく書かれています。

 今回の松山地裁判決の問題点は4月4日号に掲載する予定です。ご期待下さい。(伊田浩之)

▼遅ればせながら伊藤詩織さんの『Black Box Diaries』の全編を鑑賞できた。見もせずに蘊蓄を並べる炬燵評論家にはなるまい、と思ってきた。私をヒリヒリさせてくれる映像作品だった。終盤で証言を求められたホテルのドアマンが、実名も姿も使ってくれとの覚悟を示す場面では映画の中の伊藤と共に泣いた。このドアマン"倫理感"に対し、「伊藤に裏切られた」とか宣う弁護士や映画専門家のそれは優等生"倫理観"だ。

 彼女自身がレイプ被害の告発サバイバーで、映画監督兼脚本家、主演女優でもある。『ヤマザキ、天皇を撃て!』の著者・奥崎謙三と、映画『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督と、突撃映像作家マイケル・ムーアの1人3役。映画や文学を含めた芸術表現は、例えば弁護士や裁判所、被写体側の許可を得て、或いはボカシを入れて"合法的"に作るものではない。私は伊藤自身に内在する権威利用の人生観には共感できぬが、非難できずにさすがと唸るだけだ。(本田雅和)

▼常々、自分が見ている景色を常時録画できたらいいなと思っている。ライフレコーダーといったところか。忘れたくない素敵な人生の瞬間をずっととっておけるというのが楽しい理由。楽しくない理由は、ハラスメントを受けた時に隠し撮りしなくても証拠が手に入ること。ドライブレコーダーが普及して、スポーツの世界ではビデオ判定が当たり前になってきている。映像記録の信頼度は高い。

 しかし、証拠集めのために、再度起きるかもしれないハラスメントに備えて録音・録画の準備をしたり、告発するために思い出して言葉にして伝えたりすることは、ただでさえ傷ついている状態ではハードルが高すぎる。

 人間相手に伝えるということ自体も苦痛。犯罪被害にあったら、被害映像をAIに提出、被害判定、加害者特定もしてくれたらと思うけど、それはそれで恐ろしい社会ではある。究極の理想は被害者のいない社会なのだが。(志水邦江)

▼ライブ配信中に殺されてしまった女性に対して、「借りた金を返さないんだから自業自得だ」という声が出ているという。借りた金を返さないのは人として最低の行為だが、だからといって殺されていいということにはならない。

 ここで思い出されるのが「頂き女子りりちゃん」。男から金を「まきあげる」テクニックに長け、またそれを商材ビジネスに展開し稼いだことで注目された。容疑は詐欺とのことだが、世にあふれる広告やCM、SNSマーケティングの類は詐欺ではないのかと言いたくなってしまう。

 東京・高田馬場事件の被害者や、りりちゃんがなぜ攻撃されるのか。それは男から金を「まきあげた」からだ。ホストが女性客から金を「まきあげる」ことには寛容なのに、女が男から「まきあげる」と、たちまちにして世間から攻撃される――という構図を、最近の事件から感じたのでした。(渡辺妙子)