週刊金曜日 編集後記

1509号

▼本号でドイツの反極右デモを取り上げた。筆者の水島朝穂さんは「ナチ的なるもの」を許さないドイツ人の「良識」の一例として「つまずきの石」を紹介した。「石」の表面にはナチスから迫害を受けて強制収容所に送られた犠牲者の名前や没年などが刻まれており、ドイツを中心に10万個以上あるとされる。一方、同じ記事に登場する映画『ヒトラーのための虐殺会議』には犠牲者の名前が出てこない。欧州全土のユダヤ人1100万人の絶滅政策を決定した1942年の「ヴァンゼー会議」の様子を、当時の議事録を基に描いた作品だ。アウシュビッツ、トレブリンカ、ソビブル......。悪名高い収容所は固有名詞で呼ばれるが、ユダヤ人犠牲者については「3万3771名」などと数字のみで語られる。会議にはナチス親衛隊のほか、内務省や司法省などの役人たちが参加。彼らは毒ガスと焼却炉を使った「特別処理」(大量殺戮)について、いかに効率良く、ドイツ人にとって負担が少なく実施できるかを話し合った。犠牲者の名前が数字に置き換わることで、人間がいかに残酷になれるか、まざまざと見せつけられた気がした。(平畑玄洋)

▼その書店には、大きなガラス窓越しに朝の日差しがまぶしいくらいに差し込んでいる(本が日焼けしないかちょっと心配)。猫様が2匹いて傍若無人。ノーベル文学賞を受賞した韓江のコーナーに平積みされた本の上で毛繕いをする(うわっ......)。店内には安重根の書「一日不讀書口中生荊棘」が掛かる。店主は文在寅さん、韓国の前大統領だ。大統領退任後に故郷の蔚山・梁山中腹に自宅とともに構えた書店を訪ねた。

 その前日と当日、『ハンギョレ』に退任後初のロングインタビューが載った。尹錫悦大統領による今回の一連の事態の端緒となった、文政権下の検事総長抜擢と「検察改革」を巡る応答は興味深かった。文氏や(今や収監されてしまった)曺国氏らは、悲願の課題「検察改革」実現のため、厳正な人事を行なったはずが、なぜこういう事態を迎えることになったのか。

 私の目の前の文さんはエプロンをつけ、客との写真撮影を終えてニコニコしている。私はと言えば、雨宮処凛編集委員との念願の対話企画実現の交渉のため、緊張しまくりだ。「さあ、勇気を出せ!」

(小林和子)

▼2011年上巳の節句の日、会社を立ち上げ、東京の地下鉄日比谷線沿線に事務所を借りました。1週間ほどして電話とFAXを入れたのですが、結局、電話回線を確保して稼働できたのは4月下旬のこと。3月11日の東日本大震災で回線工事がまったく手付かず状態になったからです。

 大震災当日、開業準備以外に仕事もなかったため、メンバー全員すぐに解散し、自宅に帰ることにしました。が、交通機関が大混乱。わが家にたどり着いたのは20時手前でした。部屋に入ると、本棚等が倒れ、足の踏み場もないありさま。当時、家族に迎え入れていた猫5匹のうち、長男ネコはキッチン台で「ニャア」と出迎えてくれましたが、三女猫が行方不明に。捜し回った挙げ句、押し入れ下段の収納ボックスの後ろで震えていた三女猫をようやく発見することができました。あれから14年、5匹とも旅立ってしまいましたが。

 今、フジテレビ騒動でACジャパンのCMが頻繁に流されているのを見て、当時のことを思い起こします。「言葉の広場」3月のテーマは「地震」です。ご投稿をお待ちしています。(秋山晴康)

▼昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は主役まひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)の名演もさることながら一条天皇(塩野瑛久)の美しさに魅了され、退場してからは「お上ロス」に陥った。現在放映中のTBS日曜劇場「御上先生」で生徒が「みかみ」を「おかみ」と言うと思い出してしまうほどだ。

 そして今年の大河ドラマの舞台は平安時代から江戸時代へ移って「べらぼう」が始まった。余談だが「光る君へ」の塩野瑛久と「べらぼう」の横浜流星、「御上先生」の松坂桃李は3人とも戦隊シリーズ出身者である。「べらぼう」は写楽、歌麿を世に送り出し、江戸のメディア王にまで成り上がった蔦重こと蔦屋重三郎の波乱万丈の物語である(公式サイトより)。蔦屋といえば蔦屋書店が思い浮かぶが、関係ないそうだ。だが書物問屋、須原屋市兵衛は埼玉・浦和の須原屋書店と関係あるらしい。蔦重は版元をめざすが、現代でも業界では出版社のことを版元という。(原口広矢)